都会の水生植物園洗足池公園
洗足池は大田区の北部に位置し、五反田駅から6つ目下車、東急池上線洗足池駅の正面に広がります。
身延山久遠寺から池上寺へ向かう途中の日蓮上人が、池のほとりで休息し、足を洗った言い伝えから「洗足池」と命名されました。水面の広さ約4万平方mは都内でも屈指の広さです。日蓮が袈裟をかけたと言われる「袈裟掛けの松」も御松庵にちゃんと残っています。
この辺りは大田区立洗足池公園となり、池月橋、水生植物園やボート乗り場があり都会のオアシスです。池の周りには約1.2キロの遊歩道が設けられ、四季折々の草木や植物が訪れる人を迎えます。春は200本のサクラでにぎわい、秋には紅葉を満喫することができます。冬は渡り鳥の楽園となり、夏には水辺を飛び交うトンボなどの都心にほど近い場所で、自然を満喫できる癒しのスポットです。池の周りには遊歩道があり、およそ1.2kmのバリアフリーの遊歩道を辿って、池を周回することができます。
早朝には、ジョギングやラジオ体操をする人たちで賑わっています。
昭和34年4月5日撮影。場所は洗足池奥の、現在グラウンドの前のあたりの場所です。ごくごく小規模の遊園地があり、豆汽車が走っていました。写真の背後に洗足池の水面が木々の間から見えます。この遊園地の乗り物は2~3種類、存在期間もわずかという、幻のようなもので、覚えておられる方は少ないのではないかと思います。
歴史を伝えるものとして勝海舟夫妻の墓、西郷隆盛留魂碑、徳富蘇峰詩碑、名馬池月像などがあります。
江戸時代、歌川広重の名所江戸百景『千束の池袈裟懸松』にも描かれた洗足池の景観の面影は今も残っています。
千束八幡神社
品陀和気之命(応神天皇)を祭神。「旗挙げ八幡」とも呼ばれています。その理由は、11世紀前半の後三年の役では、奥州討伐へ向かう源義家が戦勝を祈願したとここにも伝えられています。源頼朝がこの地で野営した時に池に映る月のような姿のたくましい馬が現われ、その後、宇治川の合戦で佐々木高綱が乗って有名な先陣争いを繰り広げたことで知られるようになります。その馬が名馬「池月」本殿の横に赤目で歯をむく池月を描いた大きな絵馬が奉納されており、さらに境内には池月の像が設置されています。。
勝海舟が愛した洗足池
1867年10月最後の将軍慶喜が大政奉還。260年続いた江戸幕府は幕を下ろしました。
これを良しとしない新政府軍は江戸に集結し、一触即発ムード。
そこで新政府軍のリーダー西郷隆盛と陸軍総裁の海舟は戦いをやめ、一つになり、新しい日本を作っていこう!と密談を重ねました。
海舟も、暴漢に襲われる危険もあり、メインストリート東海道を避け、中原街道からいざ、西郷の本陣池上本門寺へ向かう途中、ふらり立ち寄ったのが洗足池でした。
池のある風景を大変気に入り、明治維新後、1889年この地に「洗足軒」という茅葺の別邸を立てました。(現在の大森六中のグランド辺り)
した。勝海舟は、洗足池の風光をこよなく愛し、周囲に松とモミジの木を植えながら詠んだ歌、
植置かばよしや人こそ訪ねども 秋は錦を織り出すらん
海舟は「富士を見ながら土に入りたい」という思いから、洗足軒近くに墓所を造ったといわれています。当時は、海舟の墓の場所から、振り返ると西に富士山をみることができました。
海舟の墓の近くに、西郷隆盛の記念碑があります。
盟友であった勝海舟は、西郷隆盛死を悲しみ、西郷隆盛の漢詩「獄中有感」(ごくちゅうかんあり)の碑を薬妙寺(葛飾区東四ツ木)に自費で建立しました。
荒川放水路の建設に伴い、大正2年1913年(大正2年)に、勝海舟の別邸があった洗足邸の敷地内に移設されたそうです。
江戸無血開城を成しとげ、江戸の町と多くの人々の命を救った勝海舟のお墓には、今なお多くの参拝者が訪れています。
大田区立勝海舟記念館
東急池上線の『洗足池』から徒歩5分程。2019年9月開館。
建物はかつて勝海舟の偉業の資料を保存した『清明文庫』を改修したもので、ネオ・ゴシック様式とアールデコ様式が取り入れ、洗足池の辺で一際目立ち、自然に映える美しい建築物です。手作りタイルの壁や美しいモザイクの床が入り口を飾っています。天井は高く、窓は細長くなっていて、広々と開放的な空間になっており、勝海舟の世界観を感じることができます。
展示コーナーには、勝海舟の書簡や印章、礼服などが展示されており、一階では勝海舟の一生を実物資料やパネルから知ることができます。
咸臨丸で太平洋を横断したCG映像もあり、当時の航海の大変さを体験できます。
二階には洗足軒のジオラマも展示されていて、楽しみながら幕末から明治維新の船出を感じることができます。
洗足池湖畔には海舟夫妻のお墓も参拝され、海舟が愛したこの地にタイムトリップしましょう。
住所
東京都大田区南千束2-3-1
開館時間
10時~18時(入館は17時30分まで)
休館日
毎週月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始、臨時休館日
入館料
一般 300円 小中学生 100円 団体(20名以上)2割引(240円、80円)
https://ota-tokyo.com/ja/destination/katsu-kaishu-memorial-museum/27733
のんびり歩こう洗足流れ
洗足流れ(千束流れ)は,全長1.7km程の水路で,洗足池を水源として東雪谷と上池台の境界に沿って流れ,呑川と合流しています。
現在の洗足流れは,かつての農業用水を整備・復元されたもので、一時は悪臭を放つドブ川と化した時期もあったのですが、地元住民の尽力で自然に近いせせらぎがよみがえり,鯉や小魚,カワニナやホタルなどが生息,カルガモやカワセミなどの姿も見られるようになりました。
現在は、水路沿いは遊歩道が整備され,桜やツツジが植えられています。朝の散歩や通勤に人たちの憩いの風景として親しまれています。洗足小池は、池上用水から東北東へ500mほど行ったところにある湧水池。洗足池を「大池」と称するのに対し、こちらは「小池」と呼ばれていました。
洗足池の袈裟懸松
日蓮上人が弘安5年(1282)に身延山(山梨県)から常陸国の温泉に向う途中、千束の池にさしかかったとき、池のほとりで休息をし、かたわらの松に法衣をかけて、池の水で手足を洗いました。
このとき水中から七面天女が出現し、道中守護をしてきた旨を告げ、日蓮の読経を受けて消えてしまったそうです。その後、このことを記念して、土地の人達が、堂宇を立てて七面天女を安置したのが、御松庵のはじまりだと言われています。
法衣をかけた袈裟掛の松を護る護松堂が建てられ、この堂名から御松庵と呼ばれるようになりました。
洗足商店街の古今スポット
洗足池駅からすぐ近くに、日本一低い東京のミステリーポイントがあります。大人は立って通れないほどの低いもので、頭のすぐ上を池上線がガタンゴトンと走り抜けます。
低いガードがミステリースポットではなく、江戸時代の絵師歌川広重の東海道五十三次の1枚に今も残る大田区洗足池を描いた「千束の池袈裟懸松」洗足池の水面の藍のぼかしが魅力のこの1枚を書いたのが、ガードをくぐり登ったところからみた風景なのだそうです!
絵画の藁葺きの家は、のちに勝海舟の「洗足軒」のイメージにつながったのではないかと言われています。
信じるか、信じないかはあなた次第・・・・