洗足池「よしむね」から新曲リリース「リラ冷えの恋」

何のお店?よしむね


洗足池駅改札を出て商店街に入ると、すぐに「よしむね」という看板を見つけることができます。
「ここは何のお店?」と思う方も多いはずです。
昼間なのに、中から歌声が聴こえてくるのです。なに、昼間っから飲んでるの?
今回は、謎の店のオーナー小林巽さんにスポットライトを当ててみます。
さあ、小林巽さんオンステージの開幕。
小林巽さんは来春で80歳。父親は小林重四郎さん。京都日活太秦撮影所の映画俳優として、特に、悪役、斬られ役としては天下一品の演技派。晩年は、吉幾三さんの舞台にも出演された。
母親も月澄江さんとして美人女優として銀幕を飾りました。
幼い頃から、京都撮影所近くで育ち、昭和の大スターたちにも可愛がってもらったそうです。
しかし、両親を俳優に持つ巽さんは、役者には興味を全く持つことはありませんでした。
東京に移り住み、青春期を過ごしました。

カラオケ教室


日中に「よしむね」から漏れ聴こえた歌は、カラオケ教室。巽さんが会員さんへ指導をされていたのでした。
「若い頃から歌手を夢見ておられたのですか?」と訊ねると
「高校1年の時、友達が歌手になりたいと言い、オーディションを受けたんだよ」
父親の伝手で、当時、昭和歌謡の大スターだった春日八郎さんの外弟子として師事。
そこから、歌手人生がスタートしました。
「春日八郎先生から、君の声ならもっと違う先生に習う方がいいと船村徹先生を紹介されたり、巽さんは歌手デビューも現実のものとなっていきました。
昭和41年、デビューが決まった矢先に、育てくれたプロデューサーが急逝。
あえなくデビューも諦めることに。水商売歴、64年、巽さんの第二幕が始まりました。
不動前で焼き鳥屋「ごてじゅう」おでん、串揚げとさまざまな飲食形態をこなし、巽さんの水商売人生は始まりました。
料理は専門に習ったことはないもの、あちこちの専門店に弟子入りし、技術を習得。
果ては、ご縁のあった自由ケ丘の魚菜学園にまで通い、料理のコツを盗んだそうです。
そのチャレンジと勤勉さは、まさに昭和を生き抜いてきた人が持つバイタリティーだと思います。

俺の歌を残したい


巽さん48歳の時、恩師・春日八郎さんの追悼盤としてキングレコードからCDを発売されていました。
巽劇場、第三幕は、CD発売後から32年が過ぎた頃から始まります。
巽さんは、これまで歩んできた人生の集大成として何か自分の歌を残したいという気持ちが高まってきました。
「演歌歌手の女友達が来店してくれ、俺の歌を聴かせようと、作曲家の先生とプロデューサーを連れてきてくれたんだよ」
80歳の渋い、哀愁に満ちた歌声を聞き、ひらめくものを感じてもらえ、ついにCD発売に漕ぎ着けました。
作詞、作曲とも演歌の世界では大御所の2人の先生にも恵まれ、2曲が完成。「リラ冷えの恋」「人生」いずれもど演歌ではなく、
歌いやすい歌謡曲で、カラオケにぴったりのメロディーに作られています。
そうそう、店名の「よしむね」は、もちろん、徳川吉宗に由来します。それも巽さんふとテレビを見たら松平健さんの「暴れん坊将軍」が目に入り
「よし、吉宗にしよう!」と即決。やっぱり、京都の撮影所は巽さんの心の中の故郷だったのでしょう。
取材中、気になったのが、巽さんの腕に輝くブルガリのブレスレット。
「若い頃、ひばりさんに頂いたものなんですよ」美空ひばりさんと銀座に連れて行かれプレゼントされた日のことを今でも、はっきりと覚えておられるようです。
歌を諦めかけた時に相談に行ったのも、ひばりさんでした。そして、歌手の道を断念せよと言われたのもひばりさんだったそうです。
その恩師ひばりさんからのブレスレットは巽さんのお守りなのかもしれません。

巽さんの64年の水商売歴、常に「会員制」で営業されてきました。もちろん、「よしむね」も会員制です。
「当時では珍しかったかもしれませんが、ヘンな客に来てほしくない」
「よしむね」の会員メンバーも67歳が最年少。大きな声で人前で歌うためには、服装もきちんとしなければなりません。
大きな声で歌うことは、肺を丈夫に、かつ、ストレス発散。みなさん年齢よりも若く見え、歌を楽しまれています。
洗足池商店街から、80歳の歌手が2025年1月新曲が発売されるなんて、元気もらえますね。
みなさん、「リラ冷えの恋」リクエスト、応援、よろしくお願いします。

                            取材・文 タカコナカムラ

和風スナック・カラオケ教室
よしむね

大田区上池台2−31−12 
営業 水・土曜日 17:00〜21:00頃まで 
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電話 080−1221−8613