中世ヨーロッパ桜の調鏡台の理髪店 ヘアサロンなかの

ヘアサロンの前身

1945年東京大空襲は、第二次世界大戦の連合国による植民地・占領地も含む日本空襲の一環です。死者の遺体数は約10万以上と言われています。
この頃、「ヘアサロンなかの」の前身である理髪店は既に、洗足駅の線路路添いに店を構えていました。
今回は、2代目仲野勝久さん、雅子さん夫妻に激動の戦後を経てのヒストリーを伺いました。

理容店は父と弟子と兄弟と

「俺は、東京生まれで東京育ち、田舎がないんだよ」
「疎開する先もないから、東京大空襲の時は、家にいたから、小火をすぐに消すこともできたから、家を守ることができた」
遠い昔を懐かしむように古い写真を見せてもらいながら取材が始まりました。
ヘアサロンの前身の理髪店を居抜きで譲り受けたのが勝久さんの父・茂雄さんでした。
移転先は、洗足池商店街の今の店より少し駅寄りの向かい側。そして、現在のサロンは
戦後3回目の移転先となります。
もちろん、茂雄さんも、バリバリの理容師。当時は、息子3人と女の子の弟子さん5人、従業員と10人程、支店も2ヶ所でヘアサロンを切り盛りしていました。
勝久さんの弟さんは、都心の理髪店に養子に入り、なんと昭和天皇陛下の理髪師だったそうです。
茂雄さんは高下駄を履いて散髪。想像すると、何だか、イキで素敵な理容師さんだったと思いませんか?
勝久さんは昼間は高等学校、夜間の理容専門学校へ通う生活が始まりました。
「画家を目指していたんだけどね、長男だから仕方なく後を継ぐことになった」
「ずっと小さい頃から父親の背中を見て、店でタオル洗ったり、手伝いをしていた」
「だから、理容師になることは当たり前のこと思って、他の道を考えたこともないな」
勝久さんは82歳、東京大空襲、終戦を経験。洗足池の周りの風景もしっかりと記憶に残っています。

勝久さんに春が来た

昭和20年大田区も焼け野原になり、文字通り、食べるだけで精一杯の時代、職業の選択肢は今とは比べようがない程、少なかったのかも知れません。
勝久さんの人生に花を添えてくれたのが、妻の雅子さんでした。勝久さんの父、茂雄さんは理容師の傍ら、組合の仕事もこなす日々。
疎開先のなかった仲野家に「故郷」を作ろうと、お見合い相手に選んだ女性が、山形県長井市出身の雅子さんでした。
当時、新宿の理容店で働き、キャリアを積んで田舎に帰るつもりでした。
そこでお見合い、夫婦共が理容師として父親の経営する「ヘアサロンなかの」を引き継ぐことになりました。勝久さんルンルンの28歳。
あれから55年の歳月が流れ、二代目の勝久さんは、ハサミを持つことがめっきり減ったそうです。
どう見ても、雅子さんの方が腕が良さそうに見えます。(ごめんなさい)
勝久さんは結婚後、お弟子さんと4人で店を切り盛りするように順風満帆に。ついに父親に「引退宣言」を突きつけたのだそうです。
「今度は、俺の番。息子からの引退勧告待ってんだけどね〜」とニヤリ。
勝久さん、若い頃には町内でハワイアンバンドを組み、スチールギター担当。バンマスでした。思わず、スチールギター、サロンに置いてくださいと頼んでしまいました。

スーパー理容師マダム雅子

6歳年下の雅子さん、実は、当初は美容師を目指していました。そのため、着付けやメイク、ヘアのデザインまでやれるスーパー理容師なのです。
取材中、常連のお客様が入って来られました。
ご近所の88歳の聡明な女性でした。黙って椅子に座ると、雅子さん、阿吽の呼吸でささっとケープをかけ、心地よいハサミの音がサロン中に響きます。
正直、この歳まで、理髪店に行く女性は顔剃り目的だとばかり思い込んでいた私にとっては、その風景は、驚きでもあり、とても新鮮に映りました。
「私、足腰が悪いの、だから美容院で仰向けで洗髪されるのも苦痛なのよ。若い方には
わからないかも知れないけどね」
「ここに来ると落ち着くし、なんでも言えるの。もっとヘアスタイル、こうしてほしいとかね」
「ここのね、シャンプーがとても肌に優しくって、それも気に入ってるのよ」
みるみる間に、雅子さんはカットを済まし、襟足を丁寧に剃り始めました。
お客様は終始、笑顔で週刊誌を開く間も無く、雅子さんとの会話を楽しまれていました。

ここで美容院と理髪店の違いをおさらいしましょう。
理髪店は、カミソリを使うため、保健所の検査が必須となります。年に1回、しかも抜き打ちでカミソリ、消毒薬などのチェックが義務付けられています。

洗足池商店街の国宝

ヘアサロンなかのに入ると一番最初に目を引くのが鏡台。そんじょそこらの既製品ではありません。硬い桜の天然木に中世のヨーロッパ家具のような見事な彫り物を入れたオリジナル鏡台。その桜の木の重厚感あふれるフレームと舞踏会場のような大きな鏡は、まさに芸術品。洗足池商店街の国宝です。
前身のお店にあったものですが、その頃は価値もわからず、譲り受けたものとのこと。今では、この鏡台見たさに店を訪ねる方もいる程です。
今回の取材で、女性ももっと気軽に、理髪店に通ってもいいのではないかと感じました。
雅子さん、成人式の着付けもヘアセットも可能。近くであれば、出張着付けも可能なのだそうです。
もっと、それをアピールしましょう!!
重厚すぎる家具調鏡台、スチールギターを弾くハワイアン好きの勝久さん、雅子さんの神技すぎるハサミさばき、愛犬マルチーズの花ちゃん・・・・どれも一見、統一感がない、全くチグハグですが、不思議不思議〜!
「ヘアサロンなかの」に入ると、とって居心地が良いのです。故郷の家に帰ったような気持ちになりました。
お近くの皆さん、女性の方も、是非、一度、立ち寄ってみてください。
目印は、もちろん!赤と青と白のくるくる回るサインポールです。

                        取材・文 タカコナカムラ